img_01

引っ越しのしくみ

話題を呼ぶ廉価草「タタナノ」の衝撃
中国とは違って自社モータース」の実力とエコカーで自動車産業は再生するか?すでに始動している「脱炭素社会」へのメガトレンド
アメリカではすでに37州が「京都議定書」を批准紳市場メカニズムを使って環境を保全するトレンド
主導する「排出権取引」の明暗環境対策車に先鞭をつけてきた日本の優位性
基準を満たせず、中国にさえ輸出できないアメリカ車究極のエコカーは「水素エネルギーを使う燃料電池車」
自動車産業が「20世紀」と決別する日
自動車社会の利便性で犠牲になったものをどう回復するか?予告されていた自動車産業の退廃
日本の自動車産業が飽和しないでやって来られた理由
日本の自動車産業の近未来はどうなる?加米国金融バブルに踊った自動車産業「成長」が当たり前だった戦後の北米自動車市場今回の世界金融危機は、世界同時不況の様相を里し、世界の自動車産業を直撃した。
その震源地は、世界最大の自動車市場アメリカである。
世界金融危機は、グローバル金融システムの総本山アメリカの金融バブル崩壊が引き金となって世界中に飛び火した。
いわゆるサブプライムローン不況を招いたアメリカ金融バブル崩壊と自動車産業の関係を説明する前に、この釣棚年にわたるアメリカの景気と自動車総需要の変動、そしてその間を縫って、難攻不落と思われたビッグスリーの牙城にひたひたと迫り、あわや完全な日米逆転寸前にまで迫った日本の自動車産業の基本的な動きを見ておこう。
第2次世界大戦が終わって、アメリカには世界の富の3分の2が集まったといわれる。
第2次世界大戦後のアメリカは、資本主義先進国の経済復興を支援し、1929年の大恐慌後に台頭したブロック経済と保護貿易主義の反省の上に立つブレトンウッズ会議、その所産であるIMF・ガット体制によって自由貿易体制を推進した。
その間世界の金融は、ドル本位制を中心とする同心円の中で動き、今日なおドルに代わる世界共通通貨の必要性が云々されながらも、今後の課題として残されている。
そのようななか、アメリカ経済は何度かの経済不況に見舞われているが、それらはある種の循環性不況で説明がつくものと、2度にわたる石油危機のような制御の難しい突発的要因によるものに分かれていると思う。
これまでのアメリカでの経済不況は、1960年に起こった一時的、局地的なリセッション不況に留まるものを度外視すれば、第1次石油危機の73年と第2次石油危機の79年当時の不況、それに87年のいわゆるブラックマンデーの株式不況、そして98~99年にかけてのITバブルの崩壊による不況と、4つの大きな不況から成っていた。
これらの不況は、局地的な不況とは次第に様相を異にし、世界的影響力を持つものに変容してきたのだが、その間、北米の自動車市場は、時として不況の影響で一時的な後退はあっても、長いトレンドで見ると、全体としては曲がりなりにも右肩上がりで伸びてきた。
具体的数字でいうと、北米での自動車新車登録台数が、第2次世界大戦前に最大を記録した1929年の470万台まで回復したのが49年である。
それが一昨年の1600万台以上のほぼ1700万台近くまで膨張している。
北米自動車市場は、この60年間で約3・6倍にまで拡大したことになるが、資料をあたると、何段階かに分かれて総需要のパイの大きさのジャンプを経験していることがわかる。
第1のジャンプは、470万台から600万台ベースへの増加が起こった1950年代後半の時期である。
この時は、ビッグスリーによる寡占体制が決定的となり、それまでビ米国金融バブルに踊った自動車産業ビッグスリー以外の自動車メーカー(ハドソン、クロスレ1、オーバーラント、パッカード、スチエードベーカー、カイザーなどのインディペンデントメーカー)が存立できていたのに、その条件が失なわれ、やがて1960年代に入ると、アメリカンモーターズ(87年にクライスラーが買収)1社にまで統合されてしまう伏線が、着々と形成された時期であった。
この1950年代後半というのは、総需要台数も伸びたが、同時にビッグスリー、とくにGMが主導したアメリカ車の大型化上級移行と高鳥カニ尚排気量エンジンの搭載が進み、台当たりの価格と利益が、かつてなく上昇した時期でもある。
この時期は、アメリカのハイウエイ高速道路の全国ネットワークが完成したことにより、長距離ファミリードライブが盛んになり、アメリカ車の大型化上級移行が大衆受けするようになった。
ただし、アメリカ車の燃費効率は低下する一方であったが、当時産油国だったアメリカのガソリン価格は安く、そのためアメリカの消費者には燃費効率は悪くても、車高が低くて乗り心地がよく、スペースの広い大型車は歓迎され、その結果、大型化上級移行の戦略は成功し、アメリカ車のガスギヤズラーカー(ガソリンをたれ流す草)路線が決定的となった。
大型化上級移行の路線では、治工具類をはじめとして多くの設備投資が必要になるから、ビッグスリー以外のメーカーはこれに追随できず、そのためビッグスリーの寡占体制は強化され、インディペンデントメーカーの存立基盤は、弱まらざるをえなかったのである。
北米自動車市場の第2のジャンプ期は、1960年代の半ばから70年代の初めまでである。
北米市場は、60年の一時的なリセッションによって総需要の減退を経験するが、それ以降は600万台から800万台までの拡大となっている。
ただしこの時期には、ビッグスリーの大型化移行路線のすきを突いた小型車、とくにアメリカンモータースが投入した2000ccクラスのコンパクトカーの成功と、欧州からの輸入車、とくにVW(フォルクスワーゲン)ビートル(かぶと虫)の増加があったからこそ、これだけ市場が拡大したのだといってよい。
アメリカでは、50年代までは1台の保有形態だったのが、複数保有するファミリーが増え、とくに家庭の主婦などが自分の車を持つようになって、セカンドカーとして廉価な中型車や小型車に人気が集まった。
そして、この複数保有の傾向はその後も続き、家庭の主婦だけでなく、社会に進出した女性やハイスクールの学生、大学生が、それぞれ自分の車を持つパーソナルカー志向が強まっていく。
複数保有の中心は、中型のコンパクトカーよりもサブコンパクトカーと呼ばれる小型車に移り、その先頭を切ったのが前述のVWビートルであり、その後、1960年代後半から輸出を急増させた日本の小型車だった。
米国金融バブルに踊った自動車産業ビッグスリーはなぜ大型車路線に固執し続けたか?ところで、前述したように、複数保有の時代の始まりが1960年代とすると、単なる複数保有に止まらず家族構成員1人1台のパーソナルカーへの志向は、1960年代後半から始まっている。
これが1970年代に入ると、北米市場全体の需要を押し上げ、800万台から1000万台に近づくのである。
しかも、この頃の総需要の増加は、第2次世界大戦後の人口増やベトナム戦争後のベビーブーマーと呼ばれる当時の若年層の人口増によって後押しされていた。
ところが、1970年代に入って総需要が1000万台の大台に近づき、それ以降、北米市場は1600万~1700万台にまで拡大するのだが、単純な右肩上りではなく、きわめて上下動の激しい市場となった。

引っ越しはいかがですか?引っ越しはそれほど難しくありません。
引っ越しがあれば全てが解決します。まったく新しい引っ越しです。
引っ越しは今や欠かせないサービスの1つです。引っ越しのお得さが好評です。